どこにいても私はわたし。

テネシー州ナッシュビルで駐妻してました。その後の日本の生活日記。

喉元過ぎればなんとやら

実家から戻って約一ヶ月、近くに住んでいたり一緒に住んでいないと実際の様子はわからないというのは本当ですね。

今回の帰省でずっと気になっていた父親の携帯を機種変更して、父に新しいケータイの使い方を覚えさせるために、毎日メールを送ってもらったり、私から電話をかけたり(誰からも電話なんてこない、、と父がこぼすので)(そしてその気持ちは引きこもりの私もよくわかる)、かなり頻繁に連絡を取っていました。

電話だけで話すと、元気なんですよねーw

とても目が見えなくなりそうだし、ボケてることをよくやるし、足元がおぼつかない高齢者とは思わない。

アメリカから帰国していろいろな理由で相変わらずお気楽引きこもり主婦状態なんですが、今回の父の病気の時にすぐに駆け付けられる状態でいたのはとても幸運だったなと思います。

まだ75と69の両親ですが、結構母親の頭のボケ具合というか、私への依存具合が酷く、実家滞在中はストレスが半端なくて、頻繁にあまり帰りたくないという気持ちもありつつ、親の顔も見たいし実家の町は好きだし、、という複雑な気持ち。

 

年を取ると新しいものに抵抗を感じやすくなるけれど、まだ頭と体がついていくうちに新しいものを覚えたほうがよい!!と今回痛感したので、家の車の買い替えを渋っていた母親の重たいお尻を動かすべくあれこれ言ってみました。

69歳の人間が新車を購入したらもうあとは免許を手放すまで乗るでしょう。

今年から10年乗ってももう80手前、果たしてそこまで運転しているか??

それなのに、15年物のちょこちょこ問題も発生中の車を今年も車検を通そうかと迷っているので、、、

本来、家の大きなお金を動かすのは得意でない母親。そっちは父親担当でした。

車のこともわからないし、車は大きなお買い物。

そして私は車を所有したことないのでさっぱり役に立たず。。

とりあえず

『お金はあるから!兄ちゃんに一緒についていってもらえばいいから!』

と説得していたら何台か見てきたようでよかったよかった。

 

このお金はあるから発言、もちろん私がお金を出す訳ではありませんw

実はコロナ前に一時帰国していた時に、とある事情から実家の金融資産をワタクシ全て把握することに成功しております。

あれから2年?父親の病気だったり、この先もっと記憶がなくなるかもしれないことを考えると、あの時介入していてほんっとによかったと思います。

幸いというかなんというか、親はメインバンクのインターネットバンク手続きもしていたので、いつでもどこでも私は親の支出をチェック出来ていて、多額の金額が引き出されている時は一応確認の電話を入れたりしていますw

母親は「まーなんでも筒抜けじゃない!」といつも笑って言うけれど、お金を使い込むでもない生活にも困ってないしっかりしたムスメがお金の管理をしてくれているなんて一番安心なのではないでしょーか。

自分で言ってみるwww

 

兄たちは違うだろうけれど、うちは子供もいないし親からお金をもらうつもりもないので、出来れば両親には生きている間に快適な生活のためには気にせず貯金を使ってほしいんですよね。

子供に残すためになるべく使わない、なんて考えてほしくない。

残されたほうのトラブルの元にもなるしね。

車や、今後も発生する家のメンテナンス、介護のためにも備えて置かないといけない金額はあるけれど、便利で快適な生活のための家電とかたまの贅沢の美味しいものとか?今まで苦労して節約生活してきた分、ちょっと人生を楽しんでくれたらなと思います。

自分たちの貯金でw

脳出血後の父親の変化

今日は帰省最後の病院付き添いをしていました。あさってのフライトで東京に戻ります。

父の脳内出血は左側頭葉の言語を司る領域でした。というわけで、身体の不自由は無く、また出血の量にもかかわらず発語能力そのものは全く衰えておらず、かなり運が良いと思います。

先生の説明によると「言語が出てくる通り道がうまくつながってない状態」とのことで、今現在の症状は『頭ではわかっていてもその単語が出てこない』『本人は〇〇と喋っているが本当は■■』『"ニンジン"を見て"トマト"と言う』というような感じ。
物の名前や人の名前については、本人「出てこないけどもう歳だしそんなもんでもおかしくない」てな感じで開き直ってて、リハビリもどうなることやら。。

その他、以前より確実に気が短くなって、一度自分がこう!と思ったらもうそれをしないと気が済まない、というような感じが出てきた気がします。そしてすぐ怒る。
退院時に先生には「認知症の検査は全く問題ありませんでした」と言われたけれど、大丈夫かしら。。
退院後診察が今週ありますが、母親には念の為このことを先生に伝えるように言っています。

緑内障のせいでロービジョンではあるものの、よく歩き、楽観的であっけらかーんとしていた父親が、ぐっと老いた感じがします。
今回の病気のあとからさらに物が見えずらくなったと言っているので、そのせいもあるのかな。

まだ脳出血の療養期と思って、また活気を取り戻す時がくると思いたいです。

親が歳を取る

父親が70を超えた4年前から数年に一度帰省する度に歳を取ったなと思っていました。

父は若い頃から食習慣と遺伝のせいで高血圧&動脈硬化がひどく、既に何度も手術をし、今は高血圧性の緑内障が進みかなり視野が狭く見えません。
『ロービジョン』とカテゴライズされる視力障害者です。

2週間前、母親から『お父さんの様子がおかしい』と連絡がありそこから次のステージが始まりました。
同じ県に住む兄に連絡をいれ、翌日に母と兄で父を病院に連れていったところ脳出血を起こしていました。

子どもも仕事もない完全自由人の私は、随時入るラインを読みながら
これは大変なことになった。いつ帰ろうか
と飛行機をチェックしていました。

幸いなことに命に係るものではなくしばらくの入院で済むことがわかり、コロナ禍でお見舞いも出来ないため、退院前に帰ることに決めました。
退院してくる父親も心配だけれど、こんなことになり母親も気が動転していないか心配だったので、やっぱり早く帰りたかったのです。

こんなことは言っていますが、母親と私の仲は決して良い方ではないですし、すごくストレスが溜まるので本当なら一人で実家に長期滞在はしたくないのですが、今回は特にそんなこと言ってられません。

約2週間ほどの滞在予定。
退院した父親と、母親とともに、既に1週間経ちますが、介護が始まってるなと痛感しています。

まだまだまだまだ入口なのはわかっていてこれは序の口だと思いますが、今のこの心境を、この心境すらをもいつか懐かしく思う時が来るのかと思い記録していきたいと思ったのです。

ゆるりと再始動 in Japan

どうでもいい雪の記事を最後に書いて早1年以上、頭の片隅にはブログのことがありながらなかなか書く気持ちが湧いてきませんでした。

で・も!
最低限、日記がてらにゆるりとブログ書くだけでも頭使わないと、言語能力が廃れていく!!と危機感がいよいよ募ったのでポチポチ書いていきます。ネタもそこそこあるし。どうでもいいネタも多分書くけど。

そもそも書かなくなったのは、帰国を前にして色々考えなくてはいけないことが増えて、忙しくなったからでした。
はい、そうです。もう本帰国して何ヶ月も経ちます。
コロナ禍での渡航制限全盛の中の帰国で、書けることはいっぱいあったのだけれど、喉元過ぎれば何とやら。。なのでその辺は省略。

40歳になり若い時には想像していなかった生活を送っている今、かなり肩の力を抜いて毎日生活しています。
どんな風に生きていてもいいんだよと、これからも自分に言ってあげたい。
帰国後も、
『どこにいても私はわたし』です。

大雪降ったー

雪が、それも大雪が。積もって今日は2日目。アメリカ南部を大寒波が襲っているんですよね。南部の皆さん、ますますお家こもり必死ですよね。

一昨日の夜から降り始めたこの雪、というかみぞれ。でもみぞれと比べるとそんなにべちゃっとはしておらず、なんというか空から氷が降ってきているような感じ。マイナス10℃だからかな。

夜にザーザーのようなバチバチのような、粒の大きい雨の音がしたので、ふと窓の方を見てみると、すでに一面真っ白。なんでこんな音になってんだとベランダに出たら、音の正体はこの雪のような氷のような白い粒!でびっくりした。

翌日の月曜日は、まだ人もそんなに歩いていないので綺麗な銀世界でワクワク。

昼過ぎ、足りないもの買い足しておかなきゃ!と気がついてスーパーに買い物に行きました。店内はオープン以来のすごい人!それなのに、店員さんは少ないのでレジが大行列で大変な混雑ぶりでした。

ちょっとだけ自慢していいですか。この3年でなんと我が家の徒歩圏内にスーパーが出来たんです。徒歩20分とかじゃないですよ、徒歩5分です。しかも2軒も!ふふふ。まあ狭い店舗で品揃えに難はあるけど、これは大きなメリット。

実は今日2日目になって、広範囲での大寒波っていうのを知りました。今日も雪はまだ降っていて、

「あれ、これって道路があと数日こんな感じで通常通りに機能しなかったら、数日後にうちの食糧枯渇するやん」

ということに気がついた。数日後にまた買いに来ればいいや~と思って昨日は本当に少ししか買い足していなくて、慌てて夫も連れて野菜とお肉を買い出ししてきました。

皆考えることは同じで、じゃがいもと玉ねぎがそれぞれなんと最後の1袋。夫婦2人にこんなに要らないし罪悪感を感じるけれども、背に腹は代えられぬ。当分お味噌汁は玉ねぎ一択。マッシュルームが売り切れで買えなかった。

私が最も目をつけていたのは白菜。こちら昨日鎮座していた姿のまま今日も無事にいらっしゃいましたので無事に我が家にお迎えしました。ここらへんアジア人少ないから絶対残ってると思ってたw

これで1週間は大丈夫。

他には、トイレットペーパーが空っぽだったり、パスタを大量に購入してましたね。この辺はコロナと一緒だなーと思いました。

ここに住んで、こんな酷い雪は初めて。とにかく気温がまだ低い日々が続くので、道路状況が早くよくなるといいなぁと思います。