どこにいても私はわたし。

テネシー州ナッシュビルで駐妻してました。その後の日本の生活日記。

親が歳を取る

父親が70を超えた4年前から数年に一度帰省する度に歳を取ったなと思っていました。

父は若い頃から食習慣と遺伝のせいで高血圧&動脈硬化がひどく、既に何度も手術をし、今は高血圧性の緑内障が進みかなり視野が狭く見えません。
『ロービジョン』とカテゴライズされる視力障害者です。

2週間前、母親から『お父さんの様子がおかしい』と連絡がありそこから次のステージが始まりました。
同じ県に住む兄に連絡をいれ、翌日に母と兄で父を病院に連れていったところ脳出血を起こしていました。

子どもも仕事もない完全自由人の私は、随時入るラインを読みながら
これは大変なことになった。いつ帰ろうか
と飛行機をチェックしていました。

幸いなことに命に係るものではなくしばらくの入院で済むことがわかり、コロナ禍でお見舞いも出来ないため、退院前に帰ることに決めました。
退院してくる父親も心配だけれど、こんなことになり母親も気が動転していないか心配だったので、やっぱり早く帰りたかったのです。

こんなことは言っていますが、母親と私の仲は決して良い方ではないですし、すごくストレスが溜まるので本当なら一人で実家に長期滞在はしたくないのですが、今回は特にそんなこと言ってられません。

約2週間ほどの滞在予定。
退院した父親と、母親とともに、既に1週間経ちますが、介護が始まってるなと痛感しています。

まだまだまだまだ入口なのはわかっていてこれは序の口だと思いますが、今のこの心境を、この心境すらをもいつか懐かしく思う時が来るのかと思い記録していきたいと思ったのです。