どこにいても私はわたし。

テネシー州ナッシュビルで駐妻してました。その後の日本の生活日記。

脳出血後の父親の変化

今日は帰省最後の病院付き添いをしていました。あさってのフライトで東京に戻ります。

父の脳内出血は左側頭葉の言語を司る領域でした。というわけで、身体の不自由は無く、また出血の量にもかかわらず発語能力そのものは全く衰えておらず、かなり運が良いと思います。

先生の説明によると「言語が出てくる通り道がうまくつながってない状態」とのことで、今現在の症状は『頭ではわかっていてもその単語が出てこない』『本人は〇〇と喋っているが本当は■■』『"ニンジン"を見て"トマト"と言う』というような感じ。
物の名前や人の名前については、本人「出てこないけどもう歳だしそんなもんでもおかしくない」てな感じで開き直ってて、リハビリもどうなることやら。。

その他、以前より確実に気が短くなって、一度自分がこう!と思ったらもうそれをしないと気が済まない、というような感じが出てきた気がします。そしてすぐ怒る。
退院時に先生には「認知症の検査は全く問題ありませんでした」と言われたけれど、大丈夫かしら。。
退院後診察が今週ありますが、母親には念の為このことを先生に伝えるように言っています。

緑内障のせいでロービジョンではあるものの、よく歩き、楽観的であっけらかーんとしていた父親が、ぐっと老いた感じがします。
今回の病気のあとからさらに物が見えずらくなったと言っているので、そのせいもあるのかな。

まだ脳出血の療養期と思って、また活気を取り戻す時がくると思いたいです。